仮面の遺言5

 

 302号室。

 それは、霧島が忘れていた記憶のひとつだった。
 かつて、彼が“研修医として立ち入りを禁じられていた部屋”。

 野本と待ち合わせたカフェで、彼女は低い声で囁いた。

「ねえ、壮一郎先生……ほんとに思い出してないの? あなた、“302号室”にいたんだよ?」

「……は?」

「あなた、患者だったの。
 1ヶ月だけ。診察記録はすべて抹消されたけど、私たちは覚えてる。
 毎晩、鏡を睨んで、自分の名前を繰り返してた……」

 衝撃だった。
 自分が──かつて患者だった?

「信じられないなら、確かめに行って。病院はまだある。302号室もね」

 彼女は紙ナプキンに何かを書いた。
 そこにはこうあった。

 「記憶のカケラ①:302号室の鏡」

  その夜、霧島は夢の中で、302号室を訪れた。
 狭い部屋。白い壁。冷たい金属のベッド。
 鏡が部屋の奥にあり、やはり中央にヒビが入っていた。

 そして鏡の中。
 霧島は見てしまった。

 ──“達也”がこちらを見ていた。
 血まみれの笑顔で、こう言った。

 「お前が、俺を創ったんだよ」

 飛び起きた霧島は、胸を抑えながらうずくまった。
 その足元に、1枚の紙が落ちていた。

 夢の中でしか見ていないはずの、紙ナプキン。

 「記憶のカケラ①:302号室の鏡」

 そこには血のような赤いインクで、Kの文字が書かれていた。

 朝。霧島は覚悟を決めて、東日病院へ向かった。
 裏手の通用口。IDを持っていない今、入れるわけがない。
 だが奇跡的に、通用口が少し開いていた。

 人気のない廊下を抜け、かつての閉鎖病棟へ。
 扉には、「302号室」と書かれていた。

 静かにドアを開ける。
 懐かしさと恐怖が入り混じる空間。

 中央に、鏡。

 近づくと、そこに何かが貼られていた。
 メモ用紙。古びた字でこう書かれていた。

 「記憶のカケラ②:Kは医者ではない」

 そしてもうひとつ、紙の裏にこう。

 「Kの正体を知るな。
 知ったとき、お前は“もう一人の自分”と向き合うことになる」

 その瞬間、背後で足音がした。

「……霧島先生?」

 振り返ると、そこに立っていたのは、死んだはずの──

 三輪達也だった。


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