302号室。
それは、霧島が忘れていた記憶のひとつだった。
かつて、彼が“研修医として立ち入りを禁じられていた部屋”。
野本と待ち合わせたカフェで、彼女は低い声で囁いた。
「ねえ、壮一郎先生……ほんとに思い出してないの? あなた、“302号室”にいたんだよ?」
「……は?」
「あなた、患者だったの。
1ヶ月だけ。診察記録はすべて抹消されたけど、私たちは覚えてる。
毎晩、鏡を睨んで、自分の名前を繰り返してた……」
衝撃だった。
自分が──かつて患者だった?
「信じられないなら、確かめに行って。病院はまだある。302号室もね」
彼女は紙ナプキンに何かを書いた。
そこにはこうあった。
「記憶のカケラ①:302号室の鏡」
その夜、霧島は夢の中で、302号室を訪れた。
狭い部屋。白い壁。冷たい金属のベッド。
鏡が部屋の奥にあり、やはり中央にヒビが入っていた。
そして鏡の中。
霧島は見てしまった。
──“達也”がこちらを見ていた。
血まみれの笑顔で、こう言った。
「お前が、俺を創ったんだよ」
飛び起きた霧島は、胸を抑えながらうずくまった。
その足元に、1枚の紙が落ちていた。
夢の中でしか見ていないはずの、紙ナプキン。
「記憶のカケラ①:302号室の鏡」
そこには血のような赤いインクで、Kの文字が書かれていた。
朝。霧島は覚悟を決めて、東日病院へ向かった。
裏手の通用口。IDを持っていない今、入れるわけがない。
だが奇跡的に、通用口が少し開いていた。
人気のない廊下を抜け、かつての閉鎖病棟へ。
扉には、「302号室」と書かれていた。
静かにドアを開ける。
懐かしさと恐怖が入り混じる空間。
中央に、鏡。
近づくと、そこに何かが貼られていた。
メモ用紙。古びた字でこう書かれていた。
「記憶のカケラ②:Kは医者ではない」
そしてもうひとつ、紙の裏にこう。
「Kの正体を知るな。
知ったとき、お前は“もう一人の自分”と向き合うことになる」
その瞬間、背後で足音がした。
「……霧島先生?」
振り返ると、そこに立っていたのは、死んだはずの──
三輪達也だった。
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